今日のおやつはなんだろな

LEGOと宇宙が好きな兄。生物も英語もなんでも興味津々な妹。兄妹とのあれこれを。

幼児の発達検査・療育は誰のためー集団生活で先生が困らないため?

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先日受けて行きた発達検査とその時の相談機関でのやり取りのなかで、少し違和感を覚えたことがありました。

※あくまで私が住んでいる自治体検査の印象です。

 

 

それってつまり先生が困らないようにするため?

周りが困らない子は療育優先度が低いの?

もしかして個人の抱えている困り度は重視されない?

 

今日はそんな疑問を私自身の昔話を交えつつ書きました。

私の感覚過敏の症状についても触れています。発達障害の感覚過敏がどういうものなのかいまいち分からないという方に「感じている世界が違う」それによって「辛いことがある」「嬉しいこともある」ことが少しでも伝われば。

 

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着座できていれば問題なし?

 

『発達検査に行った日 』

その遅れが私が思っていたよりは数値に顕著に出ていたのですが、発達検査をしている臨床心理士さんからみるとそこまで心配もいらないという(という反応に見えた)。。。

 

多動・衝動性が強いタイプではないので、良いこ可愛いこに見えますが(←親バカすみません)体幹が弱く慎重で失敗が怖い、相変わらずできないことがあると泣く(パニック)などは困っているところ。

 

先日も書いたのですが、療育を受けるかどうかは

  • 多動かどうか
  • こだわりや衝動性が強いかどうか

つまり、現幼稚園生活やこれから始まる小学校生活で(当事者本人が困らないようにするというのはもちろんなのですが)”指導者(先生)がクラス運営をできるかどうか”という視点が重視されているのではと感じました。 

  • 多動:ずっと座っていられないことで授業が中断するかもしれない
  • こだわり・衝動性:割り込み・自分の言いたいタイミングで発言などでクラス運営で問題が起きるかもしれない 

確かにクラス運営を考えたときに、これらがあると(準備と対策が足りないと)学校や先生がクラスメイトが困るかもしれません。

 

 

以下、息子の検査結果の聞いていたときに出てきた会話です。

 

心理:でも息子さん、自分からいたずらするタイプではありませんよね

白玉:そうですね。でも他の子のいたずらに追従はします。あと家では悪ふざけを「やめて」と言っても伝わらず、かなりしつこく言っても全く伝わらないで困っています。声を荒げるくらいにしないと辞めてくれないので←今後の友人関係でかなり心配な面

 

心理:手を出すことはない?

白玉:年少の時に一回幼稚園で喧嘩で手が出たことあります。家では怒って物を投げることもありましたが一時的で今はほとんどありません

 

心理:とても大人しいですよね

白玉:そうですね←初めての場所だと余計静か

 

心理:今日もずっと座っていられましたしね。

 

 

・・・うーん。

他にも色々お話ししましたが、全体的な会話の空気感として伝わってきたのは

集団生活には問題ないし穏やかだし息子さん大丈夫じゃない〜でした!

多分、心理士さんに悪気はないんです。ただ、私は対処に困っているんですよね。だから相談してるんですけどね…

 

数値も大幅な遅れではない、集団生活に支障がない(多動や他害がない)ので療育などの優先順位は低いという判断なのかもしれないと私は受け取りましたが…どんな検査報告書がやってくるか、ムズムズ待っております。

 

今 息子と私が困っていることが困っているうちに入らないとしたら

不器用はもちろんですが、息子は対人関係で相手の気持ちを汲み取れなくて友人関係を築けていないし、まだ言語表現が乏しくてお友達とのお話も少ない。その分家ではとてもおしゃべりです。

もし息子の検査結果で公的な支援を受けられない場合、現段階で息子の不器用の対策としてできるのは、感覚統合療法などが望ましいようです。自宅でできる方法なども模索中です。

私は私で息子の癇癪で頭に血が上ってしまい、怒りすぎてしまって関係がギクシャクする日があるほど困っています。私が未熟なせいとはいえ、そのことも今話したはずなんだけどなぁ。その問題はいいのか?あれれ。

育児本は却って自分を追い込んでしまうことがあるから苦手だけど、久々に何か読むかのぉ。私が崩れてはどうしようもないですからね。私の一番の癒しである「没頭する時間」の確保は絶対必要になりそうです。

 

それにしても。授業は受けられる・中断しない・クラス運営に問題がない子だから困難の程度が軽いわけではない、ということは検査している心理士さんたちの方むしろ分かっているはず。それでもその子が困っているか・親が困っているかは二の次になっているは療育を受けられる枠の少なさ故なのでしょうね。

 

私の地域での公立(自治体)の相談機関は

小学校や集団生活で先生が困らないようにするための療育がメイン、つまり

  • 本人・親がパニックにならないよう切り替え対処を学ぶ
  • 他害をしないように社会性や気持ちの言語化を学ぶ
  • 一緒に遊んだり・授業を受けられるように体幹を鍛える

ことが最重要課題なのだなと、心理士さんのお話を聞いていて感じました。

書いてみれば当然っちゃ当然?なのもしれませんが…大人しい元生徒としては問題発生小2当時の困り度はかなりものだったので…なんとか大きな問題が起きてからではなく、今から専門家とつながりを持ちたいという気持ちが大きいのです。発達障害のこどもの問題を未然に防ぐためにトレーニングするという観点はまだ乏しいのかもしれません。

 

色々な症状があって、様々な困難がある。目立たない私の困り度

公共の機関なので、最重要課題が社会性を強化するということや目立ちやすい症状に手厚くなることは役割として当然で。私の自治体では公的に療育を受けれる人数がとても少ないので、優先順位をつけることも仕方がありません。

 

ただ、目立たないけど苦しい症状を抱えている当事者がどうしたら良いのか。今の私にはまだわかりません。

 

よく知られている授業中に立ち歩くという行動は、発達障害のある一つ側面でしかありません。発達障害については当事者や家族じゃないと知られていないこともまだまだあるし、周りの人が困る症状と本人が困っている症状が違うこともあるんですよね。

 

ADHD・自閉症スペクトラム・LD どの要素を持ち、どの要素が強く出るかは本当に人それぞれです。発達障害を持っていても目立った多動がなく、衝動性も目立つほどではないタイプの人もいます。

私が(おそらく息子も)そのタイプです。

 

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梅雨:久々に白玉を作ったらまるーく綺麗に作れるようになっていた息子 ダイコンといって細長いのをたくさん作っていた娘

 

 息子の基本気質はとても大人しいです。癇癪を起こす姿を見たことがない友人であれば、大人しいねー育てやすそうだねーと言われるタイプ。

 

私も椅子に座り授業中目立った衝動性もなし。大人のいうことを盲目的に守る生徒A(従順、目立たない)。

脳内は多動で衝動性ありまくり。

不注意ですし不器用です。

授業中はよく空や教室に鳥を飛ばしていました(空想)

ただ、好きなことは没頭しまくるしこだわる。

 

このようなタイプの子どもは親も先生も特段困らせるわけではない場合が多いので”おっちょこちょい。でも好きなことは集中する子”に映っているだけかもしれません。

 

小学校に上がってから学習障害(ある教科が著しく苦手)や集団生活が苦手などの問題が発覚してから初めて発達障害というキーワードが浮上する場合が多いのがこのタイプ。まさに私も学習障害で小2から算数が大変なことになりました。

※子や親が問題を抱えなければ障害とはなりません。ただのその子の個性として過ごせれば一番幸せなことですね。

 

そういう一見静かな子・大人でも、社会性や発達の凸凹で困っていることは多々あるのですが、支援の手は差し伸べられにくいタイプなのですね。悲しいことに。

 

私の感覚(一例)

例えば聴覚。

私は聴覚刺激に弱いため運動会のピストルが恐怖でしかありませんでした(内心バクバクだけどパニックにはならない)。 日常のちょっとした物音でも振り返ってばかり。

TVの音量は他の人よりとっても小さくて大丈夫で、他の人に合わせると苦痛なくらいです(でも我慢)。小さな物音でその都度作業が中断され、集中が途切れます。しかし過集中になると飲食を忘れ時間の感覚も飛び周りの音も聞こえません。

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例えば視覚。

子供向けのカラフルな絵は情報が多すぎて目が痛いし苦痛に感じるくらい。太陽も室内の照明も人よりもかなり眩しく感じているようです。煌々とした白熱灯は苦手です。

炎天下の校庭はほぼ真っ白に見えてトゲトゲ目が刺されているように痛い。夜でも疲れていると水滴のついた窓ガラスを通して景色を見ているように、ライトが滲んだり光が眩しくてフラつきます。

太陽光下にいると光のつぶつぶがくっついたり離れたりダンスして綺麗です(みんな見えてると思っていた)。私はそんな太陽光の姿が大好きでした。なので小学校の時はその様子をよく絵に描いていて、それが小学校絵画コンクールなどに入賞もして自信にもなりました。今思えば、他の人とは違う感じ方をしていたので独創的な絵として審査員の目に留まったのかもしれません。

 

 

発達障害の症状だけではなく身体的特徴も合わさってのものなのかもしれませんが、これが私の感じ方の一例です。当時この感じ方が他の人と違うと思ってもみなかったので誰にもいいませんでした。大人になって過敏にある程度慣れましたが、克服したり感じ方が変わったわけではありません。

よく発達障害を持っていると生きづらいと言われるのは、こういった感覚の過敏・鈍感のために普通に過ごすだけでも疲れてしまう所為でもあるのですが、いろんなパターンがありすぎて他の人に伝えたとしても理解もされにくいです。当事者の私ですら、他の当事者の感じ方をそこまで知ってる訳ではなく複雑です。

 

私が考え方・捉え方が他の人とは違う「発達障害」というものかもしれないと自覚したのは18歳くらい、五感すら他の人とは違うと気がついたのはつい最近です。今でもこれって私が過敏なだけ?鈍感なだけ?という事柄が出てきます。

 

 

 息子も何か五感に違いを持って生まれているのだろうか。

他の人には迷惑にはならないけど、個人的にはとても苦痛だったりストレスだったりを感じやすい脳を持っている人は一体どうしたら良いのだろうか?

 

今息子と私が困っていることを解決するには、自宅で仕事のない土日に本を片手に遊び(訓練)に取り組んだり、他の機関も探してみるのが良いのかもしれません。

 

兄妹がぴったりくる表現方法を模索する日々

今日幼稚園でしてきたことも、さっき食べた晩御飯のことすら言語表現の怪しい息子。彼が一体どれくらいの五感の過敏・鈍感さを持っているのか。洋服の着心地にうるさいのは確かですが、他の感覚に関して今は推し量ることもできません。

 

もし他にも感覚過敏などがあったとして、いつ言語化できるようになるのか。吐き出せるようになるのか。今私が感じている最大の不安要素はそこです。

 

なんせ私が一番幼少期の自分に足りなかったと感じるのは、恐怖や不快な出来事の「言語化」。大体の大きな音(掃除の時に机を一斉に動かす音も、実は幼児の歌声・・・になっていない大声も幼稚園児の時から苦手)がする直前から不安でそわそわ。内心恐怖と不快な気持ちでいっぱいだけど言語化できず、大体みんなが我慢しているからと我慢していることが多かった。なんでみんなは我慢できるんだろう?と毎日疑問でいっぱいでしたが、やっぱり誰にも話しませんでした。

 

小さい時から感覚の過敏さがあるために「日常生活」でも他の人よりストレスを感じやすい子だったことは確かです。

しかし当時から生き辛く暗いものだったかというと、そこまでではありません。自覚してからの方が埋められないものを感じて辛いことが多いかもしれません。

 

友達関係に苦しむことも多かったけれど、感覚過敏のおかげか育ててもらった感性のおかげか、とにかく花鳥風月の美しさに癒され、その美しさを絵で表現することが生きがい、そして支えになっていました。

 

そんな私の経験から、兄妹のこれからの支えになるように、一緒に探したいものがあります。

  • 私は辛いことを言語化はできないけれど絵を描くことに没頭し、学校やコンクールで評価されたことでストレスはかなり発散されていた→兄妹それぞれ強みを探す
  • 発達障害の特性から友人関係に困難を感じやすいので、学校と家庭以外の「場所」があったらなぁといつも考えていた→「場所」は習い事か、自然か、人か。とにかく色々な場面とチャンスをできるだけつくって、兄妹それぞれに一番あっていそうな「場所」を一緒に探す

絵や音楽、体を動かすことでも何でもいい、何か表現する手段を身に付けること。そして安心できる「場所」をいくつか持つこと。子どもたちの心の支えとしてこれだけは最低限準備したいところです。

 

現在息子は水泳と絵画と体操を習っていますが、どれかが癒しになっているのか、はたまた負担になっているのか今の所不明。めっちゃいい顔して水泳も体操もやっていますが「行きたくない」という日ばかりなので何かが負担なのかな。難しい。

 

今はまだ何が兄妹に向いているか、支えになるか分からなくても。続けて行くうちにどれか一つでも「やっていてよかった」と思ってくれたらとにかく嬉しい。そして自分自身を癒し回復する術を身につけてくれたら更に嬉しい。

 

これから辛いこともきっとあるけれど、柳のようにしなやかに生きていってくれることを願ってやまない白玉なのでした。


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